人は時々、いやしばしば、いやかなり高頻度で、“今自分が恵まれている、幸せである、満たされている”ということを、忘れがちである。
1人暮らしはとても良い経験にもなるし、お金の勉強にもなる。だからやらない手はない。と確信しているが、私はもう5度も引っ越しを重ね、1人暮らしと実家暮らしの行き来をしている。
もはやIターンなのかUターンなのかなにターンなのかなんなのか、わからないレベルだ。
こんな自分を情けない、と思っていた。自立できない困った子供だ、と思っていた。そう、昨日までは。
昨日今日で、父母が旅行に行っている。実家暮らしとはいえ、普段平日日中は基本犬との2人暮らし。帰ってくるとて17〜18時前後。夜以外はほぼ1人暮らしみたいなものだ。
そんな暮らしに戻った最中、2日、約40時間ほど、両親の旅行がきっかけで1人の時間ができた。そこで、だ。私は考えた。いろいろと。これからの人生、今やってる仕事、毎日有意義に過ごせているのか、どう過ごすのが効率的か……考え出すとキリがない。
そこでふと気づく。「あれ、YouTubeみてない」「あれ、TVerみてない」「あれ、雑誌読んでない」「あれ、長電話してない」「あれ、布団に寝転んでない」あれ……。
そうだ。いわゆる娯楽や暇つぶしをしてなかったのだ。前は特にみたくもないけどなんとなくつけていたYouTube。何度も見た動画なのにテキトーに流していた。ところが、実家に帰るや否や、気づけば登録しているYouTubeチャンネルの最新動画が溜まっていた。今日、登録しているチャンネルを減らした。
もう私には必要ないと思ったからだ。今まで寂しさを埋めてくれてありがとう。
仕事なのでInstagramは見るが、娯楽として……というか暇つぶしとして見ることは無くなった。気づけば情報収集と自分のための発信しかしていない。
1人暮らしをしているときは、暇な友人を見つけては長電話し、連絡をなかなか返さない彼には常にキレていた。「なんで私と電話したくないの?寂しくならないの?」そう本気で思っていた。メンヘラな自覚はなかったが、メンヘラなのかもしれない。
今や、私から電話をかける回数どころか、LINEの頻度も減った。(冷めたわけではない、むしろ今の方が超仲良しだ)
つまり何を言いたいかって、“今この誰かと一緒に暮らしている環境が私にとっての幸せ”だということに気づいたってこと。日中は1人。ベルとの遊びと家事・仕事に全振りで集中。夜は家族が帰宅するため、家族のために夕飯を作る。夕飯を一緒に食べながら、今日は何があっただとか、くだらない日常の会話に花を咲かせる。なんて幸せなんだろう。
わたし、こんなことも気づけないくらい、落ちていたんだな。気持ちも考えも心も身体も全て。そう、改めて過去を思い返した。そして猛反省だ。とっくに反抗期は終わっていると思っていたけれど、今回の1人暮らしを終えるまで、私はまだ、反抗期だったみたいだ。(父が変わったのも、そう思えるきっかけだったかもしれない)
両親が旅行をたかが2日(正式には1泊2日)行ったくらいで、私はこんなに気づくことができた。いや、薄々気づいていたのかもしれない。つまり、1人だと暇だから無駄に考えて、考えて考えて考えて、無駄に悩んでたのだ。そう、全ては無駄だ。
考えすぎといわれればそれまでかもしれないが、私はそういう性分だ。変わりたいと思っているが、なかなか変わってくれない脳みそを蹴り飛ばしたい。
友人と隣のマンションに住むという素晴らしい時間と経験はとっても楽しかった。みんなが憧れるような地域にも住めた。それなりに高い家賃を払った。それなりにお金も稼いだ。いい思いもした。そんなお金や時間は無駄だったとは思わない。
むしろそれがなければ、今このことに、きっと気づけなかったのだと思う。いや、そうだ。
家族の影響、友人の影響、そして彼の影響、いろんな影響があってこんな答えに辿り着くことができた。今日、彼には電話で感謝を伝えた。少ない家族、友人、そして彼。だが、私はそんなみんなが大好きだ。そんなみんなに感謝を伝えたい。
大好きなみんなありがとう。
これから腹が立つことも、嫌なこともたくさんあるだろう。でもできるだけ逃げずに、彼らにだけは向き合おうと思う。
ただし、あとは逃げる。“嫌なことから逃げる”が私のポリシーで人生のテーマだから。