平日毎朝7時にお金の知識やビジネス・マインドについて発信している希様です($・・)/~~~
土日はまさに雑記ブログを書いちゃおうかなあなんて思って書いちゃってます(笑)
ただただ書きたいことをつづる感じなのでSEO無視!楽しさ優先!でご容赦を。
本日は第5回。安楽死ってご存じ?
安楽死は悪なのか?
希様は、高校2年~およそ5年間、悩みの深い深い沼にはまっていました。
病名でいうと躁うつ病・自律神経失調症でした。
今でももしかしたら完治はしていないのかもしれないなあと感じることはただあります。
とはいえ、希様自身今話題のHSP&ADHDなので、ただの「繊細さん」or「気にしすぎ」なだけなきもしなくもない。
この5年間は、ずっと、なんだかそわそわしていた気持ちを覚えています。
誰にも追い詰められていないのに追い詰められている感じ。
毎日この世から消えたいな、あの車がわたしを轢いてくれたらいいのにと本気で思っていました。
至って今はそんなことは思いませんので、ぜひ過去のこととして聞いてくださいね!
未だに長生き欲はありませんが、そこまで懇願するほど「死」を望むことはなくなったように感じます。やっぱり当時はおかしかったんだなあと。
(今も変な人だよ!っていうコメントは受け付けていません(笑))
そんなこんなで「生きるのが面倒」「死にたい」でも「痛いのは嫌」「死ぬことすら面倒だ」をループしていたとき、安楽死という言葉を知ります。
正確にいうと、知ってはいたけれど詳しくは知らなかったんですね。
調べてみてわかったこと、それはだれもがしてもらえるわけではないという悲報でした。
200万必要
当時調べた記憶では、旅費込みで200万ほどあればスイスで安楽死が受けられるとのこと。
とにかく死に関することなのでお金がかかります。
でも当時のわたしには「200万か!安いな!」と感じられました。
だって、死にたい人が死ぬためのシステムなんだから1億とかしそうな気がしませんか??
そんなこんなで「200万貯めたら死のう」と決めて生きることにしました。
※(実際は、大体の安楽死できる施設では簡単にいうと、「生きていくのに重い病や障害を背負っていて辛い人」しか受けられないようになっていました。当時の私は精神障害として安楽死を受けるつもりでした…考えが浅はかなのか何なのか(笑))
この簡単そうに思う200万。
売れっ子キャバ嬢のお前なら楽勝じゃん何て思うかもしれませんが侮るなかれ。
今はこんな倹約家ですが当時は散財も散財。
毎月飲み代だけで100万以上を費やしていました…(-“-)
やりたいことやろうどうせ死ぬし
「200万なんてすぐ稼げるし」
そう思って死ぬまでに好きにやりたいことをやろうと決めました。
ほんとになりたかったキャバ嬢になれた。
キャバ嬢ではガンガン営業してガンガン飲んで(笑)No1を取り続けた。
ホストに行ってみたかったから行ったし、友達と毎晩飲んだくれていた。
毎日一瞬は楽しくても、不幸感はあった。
でも、いつも「200万でスイスで死ねるしな」と奮い立たせた。
これが功を制したか、どんどん無茶苦茶に生きているつもりが「自分」というマインドができ始めました。
今まで死にたいしかなかった私が
このように前向きに物事をとらえるようになっていきました。
取り返しのつかない失敗したら死んだらいいって思えたら、なんでも怖くなかったんです。
昔から臆病で完璧主義な私は、「自分に厳しすぎる」ことで自分で自分を追い詰めていたことに気が付きました。
死は1つの手段に他ならない
死は案外「意識」することでこわくなくなります。
死を認識し、意識することで改めて自分の人生に悔いはないか?やりたいことはないか?が明確になるのではないでしょうか。
そして、死は恐れるものでもなんでもなく、誰にでも訪れる自然の原理です。
悲しいことでもなんでもないんです。
200万を貯金できたとき、不安感も減り、死にたい気持ちも減りました。
瞑想には、自分をもう1人の人間(つまり別の人間)として俯瞰して眺め、今の怒り対してどう感じるか?この感情をなぜこう思うのか?を考えるという作業があります。
俯瞰してみることで、心を落ち着かせるわけです。
自分の死を俯瞰してみることで、まだあれをやっていないから死ねない!死ぬ前にあの人に合わなければといった思いが出てくるでしょう。
死は1つの手段です。
案外死を意識すると、「まあまだ生きてやってもいいか」といいう気持ちになったりもします。
必ずしも生が正しいとは思いません。
希様は安楽死断然賛成派です。
生きるのも死ぬのも自分の権利であり、選べるべきものだと思うからです。
安楽死に関する参考になりそうな記事を載せておきます↓
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