わたし昔からムッカつく人とか、ほんとあっりえない!って人とか、いじわるをしてきた人とか…まあとにかく恨みたくなるような人が現れたとき「殺したい」よりも「しにたい」が勝つんですよ。
ちょっとインパクト強過ぎ?いやアレね、頻繁に思うとかそういう話じゃなくって…そういう極端な感情になるほどの怒りや悲しみって、生きてたら1度や2度や複数回、出会うじゃないですか。
そのときに“殺意”を覚えるタイプと“死”を意識するタイプの2種類に分かれると思うんです。私は後者。
もっと簡単にいうならば、職場に気に入らない(というかすごくいじわるで嫌い)な人がいたときに①その人を辞めさせるor居場所を悪くさせるor上司に報告するなど、自分が残る前提で話を進めるか②自分が辞める一択なのかの違いみたいな感じ。私は辞める一択。
だから損してきたなってこともたくさんあるけど、私は嫌なことから全力で逃げるタイプ。なぜかって向き合うことの方が優しいと思うから。教えてあげたり指摘してあげるって、相手のためになるかもしれないけど、こっちにメリットはない。むしろウザがられることが多い。
ここで殺すか死ぬかの話に戻るが、実は憎む相手を殺す方がやさしいと思ってしまう理由について述べる。仮にわたしが母親に憎しみを抱いていたとしよう。①ムカつく母親を殺す②自死を選ぶ…わたしは全力で②を選ぶ。理由はどうあがいても『わたしの死を背負って生きていくという時間のほうが苦痛が長い』から。
殺されると悲しいかもしれない。痛いかもしれない。でもそれは生きていくことを考えたら一瞬だ。誰にも死後の世界はわからない…というか死後の世界なんて死んだことのない人間が作った妄想だ。とにかく殺されるのは一瞬で、その後自死しない限り、自分で殺人を背負って生きていく。
反対に自死を選ぶ場合、相手は死ぬまで自死を背負う。何も思わない人間だとしても、忘れるわけはない。仮に忘れたとしても、生きていくために将来を考えたり、仕事をしてお金を稼いだり…生きていくことの方がわたしは辛いと思ってる。この未来が明るいと思えない世界で、生きていく苦痛を与える方が復讐だと思ってる。
コレが失われた30年という日本でしか生きたことがない人間の考えだ。もしかしたらバブル経済やjapan as number oneを経験してきた人生の先輩方の目線からみたら、明るい未来に期待する気持ちや新しい発見があるのかもしれないけどね。